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  • 2009.01.17 Saturday
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岡山市立中央図書館の紅葉

市立図書館の紅葉

 岡山市立中央図書館は岡山市二日市、旭川下流の西岸、川岸から百米ほども離れているでしょうか。以前はここに岡山刑務所がありました。10年来、ここにはずいぶんお世話になっています。今日は好天に恵まれて、開館早々訪れましたが、目当ての本は貸し出し中、紅葉を愛でて帰りました。

トップリーダーの条件―田母神俊雄氏と麻生太郎氏の場合

 東大教授の北岡伸一氏が、先日の朝日新聞・「私の視点」欄に、例の空幕長論文問題について書いていた。「外国でも日本でも、軍のトップには教養があり、紳士的でバランス感覚に富んだ人が少なくない。それがトップの条件だろう。(中略)田母神氏は、以上の点でトップにふさわしくない。そういう人がトップにいたことは驚きである。」
 北岡氏は数年前には、日本政府国連代表部の次席大使を勤められた方だから、この言葉には体験に裏打ちされた説得力がある。私も田母神氏については、その歴史認識の内容以前に、教養、知性の欠如が限度を超えているように感じていた。このような人物がトップリーダーの地位についていたということは、もちろん文民統制上の大問題であるが、その背景には、自衛隊の憲法上の位置づけが、過去においても現在においても明確でないこと、さらには1930〜40年代の戦争の総括が、日本国民の主体的立場からは、きわめて不十分にしかなされていないことがある。それだけにこれは根が深く、表面を取り繕うだけで解決する問題ではない。今後も粘り強く長期にわたって取り組まなければならぬ問題であろう。

 対するに、内閣総理大臣、麻生太郎氏の問題である。この人の場合、国語の基礎学力もさることながら、そのリーダーシップの欠如から、目下日本の政治は目を覆いたくなるような惨状を呈している。経済危機対策の目玉として2兆円の支出をぶち上げて以来の2週間、閣僚と与党幹部は「床屋政談」的レベルでピンボケの論議に時間を浪費し、結論は実質的には「振り出しに戻る」。煩雑な骨折りだけを市町村に押し付けて。麻生氏によればこれが「地方分権」だそうである。これも言葉の誤用であろう。

 麻生氏はかねてから「経済の麻生」、「経営の経験がある」ことを売り物にしてきたが、これはもう通用しない。自分の会社の経営を彼に委ねようという人は今ではいないと思われる。

 そのような人が、こともあろうに、なぜ総理大臣の地位にあるのか、それも彼が唯一の例外というのではなく、先々代、安倍晋三氏もそうだった。およそトップにふさわしくない人が自民党内で圧倒的支持を得て総理大臣の地位につき、あぜん・ぼーぜんの結末を見たばかりだというのに。
 このような総理大臣が続けざまに出現するというのは、まさに明治以来「未曾有(みぞう)」の出来事である。これは日本の政治が最近になってシステム不全に陥っているということである。
 病巣はどこにあるのか。一つには世襲議員が政界の大勢を占めていることである。もう一つの問題点は、大多数の国民の間に自己責任論=小さな政府論が浸透して、自分たちの生活と政策との関係が見え難くなってしまったことである。政治の動きはテレビショー的に捉えられ、せいぜい評論の対象でしかない。批判されるのはもっぱら行政。「規制をやめろ」、「管理を徹底しろ」、「ムダを省け」……。良くないことがおこれば、とにかく「悪者」を見つけ出して非難攻撃する。野党だけでなく与党までもがそれをやって「世論」の人気を集めようとする。
 世界中を見渡しても、最近の日本ほど、国民が政治を矮小化している国は少ないのではないだろうか。下手をすると、一内閣の末期現象にとどまらず、日本という国の末期現象になってしまいかねない。

紅葉するソメイヨシノ

紅葉する桜

晩秋のソメイヨシノ

ソメイヨシノ紅葉

 最近は、生活の不活性化で行動半径が狭くなりました。カメラもゆっくり休養です。

麻生さん、大丈夫?

 このところ、政府与党のお歴々の間で、喧々諤々の議論の的になっているのは、例の給付金問題のようです。
 麻生首相は追加経済政策の目玉として全国民に一人当たり1万5千円、4人家族なら6万円を配ると約束しました。その後、ゆとりのある高額所得者にまで配るのはおかしいという話が出て、それに対して、それじゃ時間と手間がかかりすぎる、とにかく早く事を運ぶのが肝心なのだとの反論が根強い。しかし、麻生さんはあっさりと、所得制限をするほうに鞍替えしてしまいました。それの後始末をどうつけるかで、すったもんだの迷論が続出です。結局のところ、高額所得の人に自己申告、あるいは受け取り辞退をしてもらうという線に落着きそうです。
 こんな動きを連日大きく取り上げるニュースを見ていて、正直なところがっくりきますね。日本の政治はこのレベルかと、情けない気持ちになります。もっと考えなければならない、議論しなければならない問題があるんじゃないですかと。

 オバマさんの演説はすごいですね。彼の雄弁はいうまでもないことですが、その演出というか、あのシカゴでの勝利演説の映像は感動的でした。私は英語はチンプンカンプンですが、ニューヨークタイムズのWeb版であの演説の全部を見ました。オバマ氏の雄弁とそれに答える数万の聴衆の Yes we can. の叫び、場面場面に即して、オバマ氏の言葉に反応する聴衆の生き生きとした表情を伝える映像。アメリカ民主主義の祭が復活した感じです。祭に結集した力が感動的であるだけに、それと厳しい日常との落差は大きいでしょう。

 それでも、アメリカはもちろん、世界の各国でオバマ勝利後の世界の枠組みがどう変わるのか、変わらないのか。それにどう対処することが、世界と各地域の安定と安全に貢献することになるのかの検討が全力をあげて行われているはずです。あるいはもっとリアルに考えて、今ここでどういう政策を打ち出すことが国益に資するのか、必死の模索が行われているはずです。各国と日本との落差もまたすごい。麻生さん、大丈夫ですか? 皆さん、どう思われますか?

麻生内閣の緊急経済対策の効果は?

 先週末の東京株式市場は全面安の展開となり、日経平均株価の終値は7649円08銭、5年半前のバブル後最安値の水準に迫った。加えて円ドル相場は95円台、これで従来一部の残っていた日本経済に関する楽観論は完全に吹っ飛んだ。
 明るさが売り物の麻生首相も北京で開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会合に参加して、事態の深刻さへの認識をいくらか深めたようで、「金融危機への対応」とか「日本の国際的役割」とかを強調するようになった。政局を優先すべきではないといいながら、その実、解散総選挙を回避したい思惑が見え見えではあるが。
 そして、週明けの27日、東証の日経平均終値は、バブル後最安値を大きく更新して7162円90銭。円ドル相場は92円台まで高騰という惨状を呈した。ASEMで採択された金融危機に対する特別声明も何のその、麻生首相が27日昼前、あわてて取りまとめを指示した「緊急市場安定化策」を尻目に、午後の東証は大幅下落を続けた。
 これは現在の「100年に一度といわれる経済危機」が、細切れの対策だけではどうにもならないところまできていることを示している。市場は日本政府の弱体ぶりをとっくに見通しているし、消費者も景気対策が自分たちの生活の支えにならないことは、ここ10年の体験で十分骨身にしみている。
 そうではなくて、経済と政治のもっと根本的な仕組みの見直しが求められているのだ。

 米国の中央銀行にあたるFRBの前議長、グリーンスパン氏は、先日の下院での公聴会で証言し次のように述べている。(24日 NHKニュース)
 (今回の金融危機について)「100年に一度ともいえる金融市場の信用収縮の津波の真只中にいる。深刻な影響にかんがみると、失業率の上昇は避けられず、家計の支出にも制約がでる」…また、金融当局の責任者として、規制などを通じて今の金融危機を防ぐことができなかったのかと問われたのに対し、「銀行のほうが株主を守ることに長けていると信じて間違いを犯した」と述べたうえで、企業の連鎖倒産を招きかねない一部の金融商品への規制が不十分だったと認めた。
 
 ヨーロッパや中南米など多くの国々の政治的指導者たちは、投機的金融の規制、禁止という方向では一致している。麻生首相は、ここに論議すべき課題があるという意見にとどまっている。「経済大国」日本はその国際的地位にふさわしい経済危機対応策を持たなければならない。遠回りに見えてもそれこそが着実な歩みなのである。国を挙げての政策論議が今こそ必要なのである。
 

日本外交の恥は何?

 米国政府が11日午前(日本時間12日未明)、北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除したことに関して、民主党の鳩山幹事長は、12日、茨城県内で記者団に対し、「米国は日本に配慮せず結論を出したということで、日本外交にとって大変な恥をさらすことになった」、「極めて危うい、非常にあいまいな合意だ。北朝鮮から拉致の再調査延期などバカにされ、日本の政権が極めて脆弱(ぜいじゃく)であることがもたらした結果だ」などと述べ(朝日新聞Web版による)、日本政府を批判するとともに米国政府にも不満を表明しました。
 一方、麻生首相は同日、浜松市内で記者団の質問に答えて、「北朝鮮の非核化には検証を実質的にやれる枠組みづくりが一番。それを取るために米国は解除を利用した。一つの方法だ」と理解を示し、拉致問題については、「(電話協議で)こちらから言う前にブッシュ(米大統領)から話していたし、きちんと対応がなされていると思う。今後いろんな交渉の過程で十分に拉致の話ができる」と述べました(朝日新聞Web版)。

 言葉だけで判断すれば、私は麻生首相の言葉のほうがまともだと思います。鳩山さんのコメント―国会質問を聞いていると、これは民主党の党としての見解でもあるようですが―は、政権奪取の機会を目前にする大野党の意見としてはいささか見識に欠けるように思われます。日本外交の恥は、日本のお願いが米政府によって袖にされたことにあるのではありません。日本政府の責任で解決しなければならない課題について、自主的方策を持たず、米政府に依存し切っている状態こそが恥なのです。これは拉致問題に限らす、日本の外交全般に関していえることなのですが。
 一方、麻生首相のほうの問題は、言行が不一致であること、言うことなすことがその場しのぎで一貫性に欠けていることです。

 私は、米政府の「指定解除」が直ちに拉致問題解決を困難にするものとは考えません。拉致問題は小泉訪朝によって明らかになり、小泉、安倍、福田、麻生、4代の内閣が取り組んできた問題ですが、とにかく、事態を一番大きく動かしたのは小泉首相でした。彼によって問題の所在が明らかにされ、解決への第一歩が踏み出されたのです。この小泉氏の対北朝鮮外交は、自主的なものであり、米国政府の意向に沿ったものではありませんでした。
 続く安倍内閣の時代には問題はまったくの膠着状態で一番動きが乏しかったように思います。安倍氏が北朝鮮に対して一貫して強い、「原理主義的な」姿勢をとり続けたにもかかわらずです。あるいは、そのゆえにに言ったほうがいいのかもしれません。
 福田内閣末期になって、米朝接近の動きのなかで「再調査」が出て来ました。日本の政権交代で、これは立ち消え状態に陥っていますが、その原因の一つは麻生内閣が、安倍氏の「原理主義」的立場をとるのか、それとも小泉・福田氏の「現実主義」的立場を継ぐのかを、北朝鮮政府が見極めようとしていることにあるとも思われます。

 米国依存の外交を続けたのでは、米大統領選挙の結果に振り回されざるを得ません。また、「金融危機」によって米経済の地位低下が避けられないとすれば、米国の北東アジアに対する影響力も必然的に弱まります。米国の後について行けば何とかなる時代はもう終わったのです。

南部、小林、益川、下村の諸先生、おめでとうございます。

 移り気な日本人、より正確にいえば日本のマスメディアの関心は、もうノーベル賞を去って、三浦和義氏の自殺、米国による北朝鮮テロ支援国家指定解除へと移ったようです。
 一歩遅れて、私はここで4先生のノーベル賞受賞に関連して感じたことを書きとめておきます。
 その一つは、自然科学の世界は非常に息が長いということです。今回の受賞の主な対象となった論文が発表されたのは、南部先生の場合が1960年、小林、益川先生のそれは1973年、下村先生の「くらげ蛍光たんぱく」の発見が1962年です。いずれも50〜30年も昔の話です。
 自然科学においては、先人たちの業績が修正され補足され批判されながら着実に継承されて発展を続けています。これこそが科学のあるべき姿です。私たちの日常の思考方法も、もう少しそれに学ぶべきではないでしょうか。今の多くの日本人のものの考え方は、あまりにも刹那的というか、目先のこと、自分に都合のいい過去のことしか問題にしません。また、同じ「科学」を名乗っても、社会科学、人文科学の場合はかなり様子が違います。例えば戦争直後の日本の経済学界や日本歴史の学界ではマルクス主義が大きな力を持っていましたが、今では見る影もありません。50年先を予想する場合、現在の自然科学の理論は確実に継承されていると思われますが、市場経済至上主義の新古典派経済学は、「あれは何だったんだ」といわれるようになっているかもしれません。

 二つ目ですが、10日付朝日新聞のWebに、最近10年間の日本の科学系論文数の伸び率は主要国中、最下位のレベルに転落したと出ていました。日本の07年の論文数は米、中、英、独に次いで世界5位だが、97年からの伸び率は5%で、調査対象となった上位20カ国中では下から2番目。伸び率の順位は、中国50.5%、韓国20.4%、ブラジル15.9%、西欧諸国22〜80%、米国10%だというのです。
 これに関連して、最近の日本の科学研究費が成果主義というか、目先の効果に左右されているようで、基礎研究部門が置き去りにされそうな点が気がかりです。

 三つ目。門外漢の私の60年ほども前の記憶ですから、不確かな点、誤った点もあるかと思うのですが。
 湯川秀樹博士が日本人として最初にノーベル賞を受けたのが終戦直後の1949年。物資不足に苦しむ日本で、紙と鉛筆だけで研究できる学問として、素粒子物理学は日本の誇りでした。その素粒子論の輝ける旗手が湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一の三氏でした。湯川博士に続いて朝永博士も65年にノーベル物理学賞を受賞して、世間的にも有名になりましたが、名古屋大学の坂田昌一教授の名はそれほどは知られていないと思います。しかしその学問的業績は湯川・朝永両氏に比べていささかも劣るものではなく、多くの研究者を育てた点では随一といってもいいのではないでしょうか。今回の小林・益川両氏も名古屋大の坂田学派で育った学者です。

 マルクス主義者であり、唯物弁証法を主張した坂田昌一氏と思想的・方法論的立場を共にしたのが京都大学理学部で1年後輩の武谷三男氏です。優れた原子物理学者である武谷氏は、戦時中には反ファシズム運動に参画して2度にわたる検挙・弾圧を受け、戦後は鶴見俊輔氏らと「思想の科学」を発刊して多彩な活動を展開しました。原水爆反対運動を理論的に支え、反公害運動の中で安全性理論を構築する。また技術論や科学史の分野でも画期的な仕事をしました。
 その武谷三男氏の初期の代表作が「弁証法の諸問題」です。これは理科・文科を問わず、昭和二十年代の学生―多少とも思想的問題に関心がある―にとっては必読書のようなものでした。ここで展開されていたのが、自然認識に関する「三段階論」です。すなわち、人間の自然認識は「現象論的段階」、「実体論的段階」、「本質論的段階」の3段階を経て発展する。現象論的段階では観察や実験の結果を集積して記述する。実体論的段階ではそのような現象を引き起こす物質的実体の存在を解明して、そこから生起する現象の法則性を説明する。本質論的段階というのは私にはよくわかりませんが、法則をさらに一般化、普遍化して全宇宙に妥当する真理の認識を目指すということらしい。

 物質からなる宇宙そのものは人間にとって認識可能であるというのが唯物論哲学の基本的立場であり、哲学的、認識論的論議にこだわらない普通の自然科学者は昔も今も無意識のうちにこの「唯物論的立場」に立っているように思われます。
 坂田昌一氏は素粒子物理学において実体論的段階のいっそうの発展を目指して坂田模型を構築しその発展をはかりました。今回、評価された小林、益川両氏の業績は、この流れのなかで生み出されたものです。

 戦後の唯物弁証法哲学においては、エンゲルスの「自然弁証法」なるものが喧伝されましたがその内容は空虚なのもでした。しかしながら、武谷の三段階論にみられる自然認識の方法には今日なお見直すべきものがあるのではないか、というのが私の素朴な感想です。実証的なものを重視する立場からは、それらは有害無益な「形而上学的論議」過ぎないでしょうが。

 最近、よくわからぬままに、多田富雄さんの免疫論の本をかじり読みしました。そして、多田さんも現象論を超えた何物かを模索されているのだと思いました。

 以上、今、私の頭の中にある知識だけで書きました。誤解や素朴な誤りもいっぱいあると思います。その点は御容赦ください。

老虎の涙雨

 夜半、ふと目覚めるとざあざあと降っていました。「更けて涙の通り雨」というやつですね。昨夜、神宮球場では巨人がヤクルトに危な気なく勝ち、横浜スタジアムでは、3‐0とリードしていた阪神が、6回、村田のホームランで4−3と逆転されると、あとは例のごとく金縛り状態、なすすべもなく敗北。阪神がぶっちぎり独走状態にあった08年セ・リーグのペナントレースは、まさか、まさかの大逆転に終わりました。私も醒めてはいても阪神ファンですので心穏やかではありませんでした。それでも、これが順当な成り行きではあったのです。
 
 8日、最後の巨人・阪神戦のテレビを見て強く印象付けられたことがありました。巨人の選手は若手もベテランも、自信のあるなしなど問題でないかのように、溌剌として生気に溢れていました。対する阪神の選手は、金本以下全員の顔が引きつって見えました。こりゃ駄目だ。阪神に勝ち目はない。これが結論でした。

 阪神沈没の原因はなんといっても打線にあります。中心打者の金本が不振に陥れば、全員が「打てない打てない病」に感染して、12球団中、ずば抜けて怖くない打線になってしまった。そして、その金縛り状態から自分を解放する個性的な選手がついに現れなかったということです。

 この数年来、阪神球団が作りあげて来たチームは「固い組織」でした。金本を不動の4番に据える。彼の場合、フルイニング連続出場記録更新中、ということもありますが、実際問題として、彼に代わる4番打者が不在ということが問題です。金本4番を大前提としてチーム編成を行っているのです。そして3番には補強した新井をあてる。この二人がチームを引っ張る。他にもそこそこに能力のある選手が揃っていますから、2、3人がスランプでも何とか打線は繋がります。金本、新井が故障なく活躍できる限りでは、ホームランは打てなくても、非常に安定した確実に得点できる打線になります。投手陣も先発要員は他チームに比べて遜色ないし、JFKの押えは他チームの羨望の的でした。
 そういう意味で今年の阪神は出来上がったチームでした。もうこれ以上、いじらないほうがいい「固い組織」でした。岡田監督はそのことをよく心得ていて、けっして奇策を用いることなく、定石通りに戦って来ました。チーム全員がこの線でまとまっていたのです。優等生ばかりで異端はいなかった。無事の間は文句なく強かった。

 失速がもう10日遅ければペナントに手が届いたでしょう。新井が故障で戦列を離れ、金本が絶不調に陥ったとき、スランプはたちまち全員に波及する。選手の層が薄いということもあるでしょうが、好調なものが不調なものに取って変わるという柔軟な態勢がこのチームにはなかった。監督にも手の打ちようがなかった。4番は固定で8人しか選手の交替はできないという変則的なチーム。非常事態になっても臨機応変に対応できないチーム。阪神タイガースは、2、3年かけて若返りを図り、チームを根本から立て直さないと駄目でしょうね。

金融危機・株式暴落でひどい目にあうのは誰?

 ほとんどすべての人たちが、これは大変なことになったと思っているはずです。第一にメディアが、大変だ、大変だと騒ぎ立てる影響があります。それでも、投資家や経営者以外の人たちの実感としては、まえまえから進行している石油や食料品の値上げ、年金、医療などに対する不安が問題なのであって、今のところ、米国発の「金融危機」を自分自身に襲い掛かってくるものとは受け止めていないと思います。

 しかし、少し考えてみると、これはどうも、そんなことでは済みそうもありません。進行する物価高、円高のなかで内需も輸出も縮小し、日本経済が深刻な不況に陥ることは目に見えています。そこから出てくるのは、雇用と家計消費の悪化。公的援助がより必要とされる事態になって追い討ちをかけるのは社会保障費のいっそうの削減です。教育費もさらにカットされて精神主義が強調されるでしょう。

 古い話になりますが、終戦時の「一億總懺悔」と言葉を思い出します。終戦直後に皇族内閣を組織した東久邇宮首相の言葉ですが、敗戦の責任を全国民に分散しようという考え方です。
 リスクの分散は現在の市場経済社会の得意技です。サブプライムローンの手法はその典型的な例ですね。

 リスクの分散と表裏一体の関係にあるのが利益の独占です。小泉純一郎氏は「改革なくして成長なし」と叫び、日本経済が成長を回復したのちも資本優遇、弱者切り捨ての政策を継続しました。その結果、数年前に公的資金による援助を受けた大銀行は、いまや危機的状況にある米国の巨大証券会社に救いの手を差し伸べるまでに利益を蓄積したのに対し、庶民生活にまでは好況の果実はついに波及しませんでした。好況になっても生活は一向に楽にならないまま不況に突入してしまったのです。これは今回たまたま時間切れでこうなったというような性質のものではなく、20世紀末型・米英型自己責任社会の構造そのものだと思います。

 だからといって、政治に何も期待しないのではありません。この重大な危機にあたってできるだけの手は打って貰わなくては困ります。これから政府・与党で検討を始めようとしている総選挙対策のようなものではどうにもなりません。解散・総選挙をにらんでの不毛な駆け引きは早く切り上げて、総選挙を早く行い、「政界再編成」を済ませて強力な内閣を組織し、年内に思い切った政策を打ち出すことが必要です。被害を最小限に食い止めるにはそれしかありません。


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