<< 岡山市立中央図書館の紅葉 | main | 小泉毅という人物 >>

スポンサーサイト

  • 2009.01.17 Saturday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


テロルのかたち

 元厚生事務次官襲撃事件については多くの論評がなされている。さいたま市と中野区との事件が同一のテロであれば、という保留条件付ではあるが、その背景には社会に充満する年金改革、年金行政への反発・不満があるとする解説が、それこそ満ち溢れている。私はこのような言論界というか、マスメディアの姿勢に強く反発する。どんな時代にも政治に対する不満がないなどということはあり得ない。この姿勢ではテロの容認とまでは言わないが、受身の態度でしかない。
 今回の事件に対して、私がもっとも強く非難したいのは、犯人が何の躊躇もなく元次官の夫人たちを殺傷していることである。日本の場合をみても、少なくとも戦前戦中までは、テロリストが女性や子供を手にかけるということはなかったように思う。最近は、世界中で無差別テロが頻発しているが、今回の事件は「無差別」ではない。対象はちゃんと特定している。標的とする人物を、その家族をも含めて狙ったとみるべきだ。また、自爆テロの場合は、まだしも自己を犠牲に差し出している。今回の事件は、警戒の厳しい現役の政治家、官僚ではなく、防護の弱いところ、やり易いところを選んでいる。一種の「弱いもの苛め」ともいえる。その点では最近の「世間の風潮」に乗っかっている面もある。
 今回の事件をテロルであるとするなら、―私は、それでほぼ間違いないと思っているが―今回のテロリストには一片の倫理も人間としての誇りもない。したがって、その心情にも行為にも、人々の共感を呼ぶ側面はきわめて乏しい。テロリズムを、何らかの政治的目的を目指しての手段(許されない手段)と定義するなら、今回の事件は、「何らかの目的の達成」は最初から視野にないということである。そこにあるのは、「社会の破壊」だけである。私たちの社会は、その内部に自らを破壊する要素を生み出し始めたということである。それも無視して過ごすわけにはいかない頻度でである。

スポンサーサイト

  • 2009.01.17 Saturday
  • -
  • 21:36
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする









calendar
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM