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  • 2009.01.17 Saturday
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ネクラとネアカ

  昨日の話の続きです。言うまでもないことですが、闇があっての光であり、光があって初めて闇が意識されます。両者の中間に無数のバリエーションが存在するのが実在する世界の姿です。
 暗さのない明るさ、明るさのない暗さというのは、本来的に無意味であり、デジタル的思考に飼い馴らされた人間の錯覚でしかありません。

 山崎ハコの登場に先立つ70年代というのは、暗さが共感を集めた時代だったともいえます。「昭和ブルース」という歌がありました。「うまれた時が悪いのか/それとも俺が悪いのか」と歌い出すやつです。私はほとんど見ていませんが、天知茂主演の「西部警察」という人気のテレビドラマがあって、その主題歌です。(「西部警察は私の勘違い、正しくは「非情のライセンス」でした。かめさん、ご指摘ありがとうございました)ここでは暗くてニヒルなのがかっこよかったのです。でも、孤独で暗さを貫けるのは虚構のヒーローの話です。

 暗さで潰されてしまわないためには何が必要だったのか? それは連帯でした。その頃、「若者たち」というドラマが人気を集めていました。

 80年代に入って、「ネクラ」、「ネアカ」という言葉が流行り出します。以下、私の独断的解釈になります。この頃から日本人の間に、自分をさらけ出しての付き合いを、煩わしいこととして避けたがる傾向が出てくるのですね。自分を隠して取り繕うとすれば、「暗い」仮面よりも「明るい」仮面を被るほうが容易だ。この気分をテレビが先取りして、一部のタレントが「バカ」呼ばわりされるのを覚悟のうえで「ネアカ」を演じてみせたのではなっかたですかね。

 その対極に「ネクラ」が形成されていきます。そして、いつの間にか形勢逆転、ネアカが多数派に、ネクラが変人扱いされるようになってしまいます。その過程は、演じられていた役柄が演技者自身の固有の性格とみなされるようになっていく過程に重なり、その中で人々はアイデンティティに不安を感じるようになっていきました。乱暴に割り切ってしまえば、金銭万能主義が自己確立に不可欠な対人関係の形成を阻害することの著しい時代に入ったということです。そして現在は、この傾向がネット社会の中でさらに極端化してしまっていると言えます。

 長々と未整理なことを書いてしまいました。私が言いたかったことはこうです。
 世の風潮というものは絶対的なものではない。それは時代によってガラリ一変するものである。それを突き抜けた向こうにあるものを信じようということです。

  君の行く道は 希望へと続く / 空にまた 日が昇るとき / 若者はまた 歩き始める
                  (藤田俊雄作詞、佐藤勝作曲:「若者たち」から)
 

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  • 2009.01.17 Saturday
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  • 11:17
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コメント
西部警察はもっと新しいですよね。渡哲也だし。
「非情のライセンス」では?
  • かめ
  • 2008/06/23 11:13 PM
あ、間違えました。どうもすみません。
  • hchikai
  • 2008/06/24 5:21 AM
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