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  • 2009.01.17 Saturday
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吉兆は変わった。時代が変わった

 「吉兆」と私の唯一の接点は「暮らしの手帖」でした。1960年代のころ、私は花森安治さん編集のこの季刊誌を愛読し、炊飯器や石油ストーブなどの商品だけについてではなく、育児や医療の先端的知識をいろいろ仕入れていました。この雑誌に「吉兆」主人、湯木貞一さんのエッセイが連載されていました。食にこだわりのない私はさっと読み流していただけでしたが、それでも、この人が本物の料理人であることは認識できていました。

 当時、高度成長期の日本の社会では、各界でモノをつくる人が誇りを持って働き、それなりに成功し敬意を払われてもいました。戦後の日本を象徴する企業といえばソニーとホンダ。それぞれに、技術者である井深大さんと本田宗一郎さんが起業し、番頭役の盛田明夫さんと藤沢武夫さんが経営的にそれを支えている会社として知られていました。あのころは、どちらかといえば、脚光を浴びているのは技術者で、経営者は「縁の下の力持ち」的存在でした。名医の病院や立派な教育者の学校などが世の支持を集めている時代でした。

 それが変わったのです。テレビに登場する「船場吉兆」の若い取締役は湯木貞一さんのお孫さんでしょうか、どう見ても料理人には見えません。「職人」の匂いは全くなく「生まれついてのエリート経営者」という感じです。こういう人が「老舗」を仕切る時代なのです。今や、サバイバルゲームに巻き込まれた各種企業体で権限を握るのはマネージメント部門です。そして、マネージメントにとっての第一の課題は「市場の評価」すなわち「収益の最大化」です。経営者からみて、技術者はパートナーではなく取替えのきく使用人に過ぎません。

 いい仕事をすれば生き残れる、とはならないところが今の時代の辛いところです。かと言って、昔が戻って来るわけではないし。吉兆や赤福を非難しただけでは何の解決にもなりせん。単純・極端はいけません。せめて複眼的思考を心がけたいものです。

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  • 2009.01.17 Saturday
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コメント
小泉竹中改革のせいでおかしくなったのでしょうね。
結果のためには何をしてもかまわないという風潮は彼らが出てきた辺りからです。
  • 以下太郎
  • 2007/11/18 10:01 AM
以下太郎さん、コメントありがとうございました。
 時代の風潮に小泉竹中が悪乗りし、それにマル金派が便乗したということでしょうかねぇ。
  • hchikai
  • 2007/11/19 5:29 PM
 吉兆問題で少し違った見方ができると思います。確かに「吉兆」は非難されるべきです。同時に「やはり『吉兆』の地鶏の味は一味違うね、美味い!」と、のたまうた人のことを思いました。だまされて気の毒だとの感想もあると思いますが、もう一面ブランド信仰がヴァーチャル信仰になっていることを見過ごしてはならないと思います。貧乏人の僻みかな。
  • 中田一二
  • 2007/11/20 9:14 AM
手元にある辞書(ライトハウス英和辞典)で「brand」を引いてみたら、こんな例文が出ていました。

 On large farms, cattle are usually marked with brands. 大きな農場では家畜にはたいてい(持ち主を示す)焼き印が押されている. 
 
 なんだか、強烈な皮肉のようにも読み取れますねえ。
  • hchikai
  • 2007/11/23 5:38 AM
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