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  • 2009.01.17 Saturday
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皇国意識の格差

 先日、苅部直著「丸山眞男」(岩波新書)という本を読みましたが、その中で一番印象に残ったのは「母の死」の部分でした。

 戦争末期、年齢30歳で東京帝大法学部助教授だった丸山眞男は陸軍二等兵として招集されずいぶん殴られました。学生時代、マルクス主義の書物をたくさん読んではいたが決してマルクス主義者ではなかった丸山は、「唯物論研究会」主催の公開講演会にたまたま参加したために治安維持法違反容疑で特高警察に逮捕されました。今日の言葉でいえば「誤認逮捕」の類でしょうが、当時はそれではすみません。以後特高の監視下に置かれていたので、帝大助教授としては異例の「教育召集」も懲罰的意味合いのものだったろうというのが定説です。ともあれ、丸山二等兵は昭和20年8月には広島市宇品で軍務についていました。
 丸山眞男の父は大阪朝日新聞などで健筆を振るった著名なジャーナリストの丸山幹治、母のセイは右寄りの政論記者井上亀六の異父妹。東京四谷の眞男の生家には長谷川如是閑や柳瀬正夢も出入りしていたという「リベラル」を絵に描いたような知的エリートの一家でした。母セイは夫幹治よりも如是閑を深く尊敬していたといいます。
 昭和20年8月、既に病篤く死の床にあった丸山セイは広島への原爆投下を知り、眞男のことを心配しながら奇しくも8月15日午前に息を引き取りました。9月になって復員した眞男は、母が死の直前に詠んだ八首の和歌を見ました。その中に、次の一首がありました。
 召されゆきし吾子(あこ)をしのびて思い出に泣くはうとまし不忠の母ぞ

 私の家はこうではありませんでした。小地主ではあったとしても、普通の農村の家でした。両親はともに師範学校卒の教師で父は入り婿、実質的家長は気性の激しい祖母でした。彼女にとっては家が第一、これははっきりしていました。天皇と家と、どちらを選ぶかについては迷いは全くなかったはずです。10歳そこそこの私は国民学校の教育のせいで天皇優先の考え方でしたが、現実問題として、家と天皇とどちらを選ぶかの決断を迫られる年齢には達していませんでした。

 今にして思えば、丸山家と私の家とでは社会的影響力では比較になりませんが、数の上でいえば私の家のほうが圧倒的に多数派だったはずです。

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  • 2009.01.17 Saturday
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  • 17:28
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コメント
暑い!昨日、先祖の墓参りに行きましたが暑いこと、今日も猛暑です。何時も写真を見させて頂いていますが心が和みます。素晴らしい花写真を見させていただいているとヘタな絵手紙を描くことが出来なくなります。
暑さも今週までのようです。もう少しの辛抱です。頑張りましょう。
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