スポンサーサイト

  • 2009.01.17 Saturday
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


南部、小林、益川、下村の諸先生、おめでとうございます。

 移り気な日本人、より正確にいえば日本のマスメディアの関心は、もうノーベル賞を去って、三浦和義氏の自殺、米国による北朝鮮テロ支援国家指定解除へと移ったようです。
 一歩遅れて、私はここで4先生のノーベル賞受賞に関連して感じたことを書きとめておきます。
 その一つは、自然科学の世界は非常に息が長いということです。今回の受賞の主な対象となった論文が発表されたのは、南部先生の場合が1960年、小林、益川先生のそれは1973年、下村先生の「くらげ蛍光たんぱく」の発見が1962年です。いずれも50〜30年も昔の話です。
 自然科学においては、先人たちの業績が修正され補足され批判されながら着実に継承されて発展を続けています。これこそが科学のあるべき姿です。私たちの日常の思考方法も、もう少しそれに学ぶべきではないでしょうか。今の多くの日本人のものの考え方は、あまりにも刹那的というか、目先のこと、自分に都合のいい過去のことしか問題にしません。また、同じ「科学」を名乗っても、社会科学、人文科学の場合はかなり様子が違います。例えば戦争直後の日本の経済学界や日本歴史の学界ではマルクス主義が大きな力を持っていましたが、今では見る影もありません。50年先を予想する場合、現在の自然科学の理論は確実に継承されていると思われますが、市場経済至上主義の新古典派経済学は、「あれは何だったんだ」といわれるようになっているかもしれません。

 二つ目ですが、10日付朝日新聞のWebに、最近10年間の日本の科学系論文数の伸び率は主要国中、最下位のレベルに転落したと出ていました。日本の07年の論文数は米、中、英、独に次いで世界5位だが、97年からの伸び率は5%で、調査対象となった上位20カ国中では下から2番目。伸び率の順位は、中国50.5%、韓国20.4%、ブラジル15.9%、西欧諸国22〜80%、米国10%だというのです。
 これに関連して、最近の日本の科学研究費が成果主義というか、目先の効果に左右されているようで、基礎研究部門が置き去りにされそうな点が気がかりです。

 三つ目。門外漢の私の60年ほども前の記憶ですから、不確かな点、誤った点もあるかと思うのですが。
 湯川秀樹博士が日本人として最初にノーベル賞を受けたのが終戦直後の1949年。物資不足に苦しむ日本で、紙と鉛筆だけで研究できる学問として、素粒子物理学は日本の誇りでした。その素粒子論の輝ける旗手が湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一の三氏でした。湯川博士に続いて朝永博士も65年にノーベル物理学賞を受賞して、世間的にも有名になりましたが、名古屋大学の坂田昌一教授の名はそれほどは知られていないと思います。しかしその学問的業績は湯川・朝永両氏に比べていささかも劣るものではなく、多くの研究者を育てた点では随一といってもいいのではないでしょうか。今回の小林・益川両氏も名古屋大の坂田学派で育った学者です。

 マルクス主義者であり、唯物弁証法を主張した坂田昌一氏と思想的・方法論的立場を共にしたのが京都大学理学部で1年後輩の武谷三男氏です。優れた原子物理学者である武谷氏は、戦時中には反ファシズム運動に参画して2度にわたる検挙・弾圧を受け、戦後は鶴見俊輔氏らと「思想の科学」を発刊して多彩な活動を展開しました。原水爆反対運動を理論的に支え、反公害運動の中で安全性理論を構築する。また技術論や科学史の分野でも画期的な仕事をしました。
 その武谷三男氏の初期の代表作が「弁証法の諸問題」です。これは理科・文科を問わず、昭和二十年代の学生―多少とも思想的問題に関心がある―にとっては必読書のようなものでした。ここで展開されていたのが、自然認識に関する「三段階論」です。すなわち、人間の自然認識は「現象論的段階」、「実体論的段階」、「本質論的段階」の3段階を経て発展する。現象論的段階では観察や実験の結果を集積して記述する。実体論的段階ではそのような現象を引き起こす物質的実体の存在を解明して、そこから生起する現象の法則性を説明する。本質論的段階というのは私にはよくわかりませんが、法則をさらに一般化、普遍化して全宇宙に妥当する真理の認識を目指すということらしい。

 物質からなる宇宙そのものは人間にとって認識可能であるというのが唯物論哲学の基本的立場であり、哲学的、認識論的論議にこだわらない普通の自然科学者は昔も今も無意識のうちにこの「唯物論的立場」に立っているように思われます。
 坂田昌一氏は素粒子物理学において実体論的段階のいっそうの発展を目指して坂田模型を構築しその発展をはかりました。今回、評価された小林、益川両氏の業績は、この流れのなかで生み出されたものです。

 戦後の唯物弁証法哲学においては、エンゲルスの「自然弁証法」なるものが喧伝されましたがその内容は空虚なのもでした。しかしながら、武谷の三段階論にみられる自然認識の方法には今日なお見直すべきものがあるのではないか、というのが私の素朴な感想です。実証的なものを重視する立場からは、それらは有害無益な「形而上学的論議」過ぎないでしょうが。

 最近、よくわからぬままに、多田富雄さんの免疫論の本をかじり読みしました。そして、多田さんも現象論を超えた何物かを模索されているのだと思いました。

 以上、今、私の頭の中にある知識だけで書きました。誤解や素朴な誤りもいっぱいあると思います。その点は御容赦ください。

calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM