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  • 2009.01.17 Saturday
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日本人の政治意識の変化

 麻生内閣は、絵に描いたように「野垂れ死」へのコースを辿っています。こうなるにはいろいろな要因が働いているでしょうが、なかでも「定額給付金」問題は致命傷というか、ボディブローというか、非常に効いています。趣旨が不明確とか、解散総選挙への下心が見え見えとか、首相の発言のブレとかいろいろありますが、実は私はこれがこんなに大問題になるとは思っていませんでした。しかし、これは私の認識不足でした。

 最近になって気付いたのですが、政治家や官僚の大多数は、口先ではともかく、本心では、政府のお金を国民のお金とは思っていない、自分たちのものだと思っているのです。これは昔からそうです。
 国民のものではないお金を、ゲンナマで1人1万2千円ずつ配ってやるのだから、みんな喜ばないはずはないと、推進派の連中は考えたのでしょう。
 ところが、一昔前とは違って、いまの日本国民の大多数は、政府のお金は自分たちのお金だ。もう役人や政治家の勝手にはさせないぞと思っている。今回の定額給付金も、麻生太郎が国民のお金を自分のもののように勘違いして、恩着せがましく扱っている。そのやり方が先ず、気に入らないのです。

 小泉内閣が「小さい政府」論を強行し、官僚バッシングを繰り返す中で、それに対応して日本人の政治意識は確実に変わりました。これは小泉政治のプラスの遺産だと私は考えています。

トップリーダーの条件―田母神俊雄氏と麻生太郎氏の場合

 東大教授の北岡伸一氏が、先日の朝日新聞・「私の視点」欄に、例の空幕長論文問題について書いていた。「外国でも日本でも、軍のトップには教養があり、紳士的でバランス感覚に富んだ人が少なくない。それがトップの条件だろう。(中略)田母神氏は、以上の点でトップにふさわしくない。そういう人がトップにいたことは驚きである。」
 北岡氏は数年前には、日本政府国連代表部の次席大使を勤められた方だから、この言葉には体験に裏打ちされた説得力がある。私も田母神氏については、その歴史認識の内容以前に、教養、知性の欠如が限度を超えているように感じていた。このような人物がトップリーダーの地位についていたということは、もちろん文民統制上の大問題であるが、その背景には、自衛隊の憲法上の位置づけが、過去においても現在においても明確でないこと、さらには1930〜40年代の戦争の総括が、日本国民の主体的立場からは、きわめて不十分にしかなされていないことがある。それだけにこれは根が深く、表面を取り繕うだけで解決する問題ではない。今後も粘り強く長期にわたって取り組まなければならぬ問題であろう。

 対するに、内閣総理大臣、麻生太郎氏の問題である。この人の場合、国語の基礎学力もさることながら、そのリーダーシップの欠如から、目下日本の政治は目を覆いたくなるような惨状を呈している。経済危機対策の目玉として2兆円の支出をぶち上げて以来の2週間、閣僚と与党幹部は「床屋政談」的レベルでピンボケの論議に時間を浪費し、結論は実質的には「振り出しに戻る」。煩雑な骨折りだけを市町村に押し付けて。麻生氏によればこれが「地方分権」だそうである。これも言葉の誤用であろう。

 麻生氏はかねてから「経済の麻生」、「経営の経験がある」ことを売り物にしてきたが、これはもう通用しない。自分の会社の経営を彼に委ねようという人は今ではいないと思われる。

 そのような人が、こともあろうに、なぜ総理大臣の地位にあるのか、それも彼が唯一の例外というのではなく、先々代、安倍晋三氏もそうだった。およそトップにふさわしくない人が自民党内で圧倒的支持を得て総理大臣の地位につき、あぜん・ぼーぜんの結末を見たばかりだというのに。
 このような総理大臣が続けざまに出現するというのは、まさに明治以来「未曾有(みぞう)」の出来事である。これは日本の政治が最近になってシステム不全に陥っているということである。
 病巣はどこにあるのか。一つには世襲議員が政界の大勢を占めていることである。もう一つの問題点は、大多数の国民の間に自己責任論=小さな政府論が浸透して、自分たちの生活と政策との関係が見え難くなってしまったことである。政治の動きはテレビショー的に捉えられ、せいぜい評論の対象でしかない。批判されるのはもっぱら行政。「規制をやめろ」、「管理を徹底しろ」、「ムダを省け」……。良くないことがおこれば、とにかく「悪者」を見つけ出して非難攻撃する。野党だけでなく与党までもがそれをやって「世論」の人気を集めようとする。
 世界中を見渡しても、最近の日本ほど、国民が政治を矮小化している国は少ないのではないだろうか。下手をすると、一内閣の末期現象にとどまらず、日本という国の末期現象になってしまいかねない。

麻生さん、大丈夫?

 このところ、政府与党のお歴々の間で、喧々諤々の議論の的になっているのは、例の給付金問題のようです。
 麻生首相は追加経済政策の目玉として全国民に一人当たり1万5千円、4人家族なら6万円を配ると約束しました。その後、ゆとりのある高額所得者にまで配るのはおかしいという話が出て、それに対して、それじゃ時間と手間がかかりすぎる、とにかく早く事を運ぶのが肝心なのだとの反論が根強い。しかし、麻生さんはあっさりと、所得制限をするほうに鞍替えしてしまいました。それの後始末をどうつけるかで、すったもんだの迷論が続出です。結局のところ、高額所得の人に自己申告、あるいは受け取り辞退をしてもらうという線に落着きそうです。
 こんな動きを連日大きく取り上げるニュースを見ていて、正直なところがっくりきますね。日本の政治はこのレベルかと、情けない気持ちになります。もっと考えなければならない、議論しなければならない問題があるんじゃないですかと。

 オバマさんの演説はすごいですね。彼の雄弁はいうまでもないことですが、その演出というか、あのシカゴでの勝利演説の映像は感動的でした。私は英語はチンプンカンプンですが、ニューヨークタイムズのWeb版であの演説の全部を見ました。オバマ氏の雄弁とそれに答える数万の聴衆の Yes we can. の叫び、場面場面に即して、オバマ氏の言葉に反応する聴衆の生き生きとした表情を伝える映像。アメリカ民主主義の祭が復活した感じです。祭に結集した力が感動的であるだけに、それと厳しい日常との落差は大きいでしょう。

 それでも、アメリカはもちろん、世界の各国でオバマ勝利後の世界の枠組みがどう変わるのか、変わらないのか。それにどう対処することが、世界と各地域の安定と安全に貢献することになるのかの検討が全力をあげて行われているはずです。あるいはもっとリアルに考えて、今ここでどういう政策を打ち出すことが国益に資するのか、必死の模索が行われているはずです。各国と日本との落差もまたすごい。麻生さん、大丈夫ですか? 皆さん、どう思われますか?

麻生内閣の緊急経済対策の効果は?

 先週末の東京株式市場は全面安の展開となり、日経平均株価の終値は7649円08銭、5年半前のバブル後最安値の水準に迫った。加えて円ドル相場は95円台、これで従来一部の残っていた日本経済に関する楽観論は完全に吹っ飛んだ。
 明るさが売り物の麻生首相も北京で開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会合に参加して、事態の深刻さへの認識をいくらか深めたようで、「金融危機への対応」とか「日本の国際的役割」とかを強調するようになった。政局を優先すべきではないといいながら、その実、解散総選挙を回避したい思惑が見え見えではあるが。
 そして、週明けの27日、東証の日経平均終値は、バブル後最安値を大きく更新して7162円90銭。円ドル相場は92円台まで高騰という惨状を呈した。ASEMで採択された金融危機に対する特別声明も何のその、麻生首相が27日昼前、あわてて取りまとめを指示した「緊急市場安定化策」を尻目に、午後の東証は大幅下落を続けた。
 これは現在の「100年に一度といわれる経済危機」が、細切れの対策だけではどうにもならないところまできていることを示している。市場は日本政府の弱体ぶりをとっくに見通しているし、消費者も景気対策が自分たちの生活の支えにならないことは、ここ10年の体験で十分骨身にしみている。
 そうではなくて、経済と政治のもっと根本的な仕組みの見直しが求められているのだ。

 米国の中央銀行にあたるFRBの前議長、グリーンスパン氏は、先日の下院での公聴会で証言し次のように述べている。(24日 NHKニュース)
 (今回の金融危機について)「100年に一度ともいえる金融市場の信用収縮の津波の真只中にいる。深刻な影響にかんがみると、失業率の上昇は避けられず、家計の支出にも制約がでる」…また、金融当局の責任者として、規制などを通じて今の金融危機を防ぐことができなかったのかと問われたのに対し、「銀行のほうが株主を守ることに長けていると信じて間違いを犯した」と述べたうえで、企業の連鎖倒産を招きかねない一部の金融商品への規制が不十分だったと認めた。
 
 ヨーロッパや中南米など多くの国々の政治的指導者たちは、投機的金融の規制、禁止という方向では一致している。麻生首相は、ここに論議すべき課題があるという意見にとどまっている。「経済大国」日本はその国際的地位にふさわしい経済危機対応策を持たなければならない。遠回りに見えてもそれこそが着実な歩みなのである。国を挙げての政策論議が今こそ必要なのである。
 

日本外交の恥は何?

 米国政府が11日午前(日本時間12日未明)、北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除したことに関して、民主党の鳩山幹事長は、12日、茨城県内で記者団に対し、「米国は日本に配慮せず結論を出したということで、日本外交にとって大変な恥をさらすことになった」、「極めて危うい、非常にあいまいな合意だ。北朝鮮から拉致の再調査延期などバカにされ、日本の政権が極めて脆弱(ぜいじゃく)であることがもたらした結果だ」などと述べ(朝日新聞Web版による)、日本政府を批判するとともに米国政府にも不満を表明しました。
 一方、麻生首相は同日、浜松市内で記者団の質問に答えて、「北朝鮮の非核化には検証を実質的にやれる枠組みづくりが一番。それを取るために米国は解除を利用した。一つの方法だ」と理解を示し、拉致問題については、「(電話協議で)こちらから言う前にブッシュ(米大統領)から話していたし、きちんと対応がなされていると思う。今後いろんな交渉の過程で十分に拉致の話ができる」と述べました(朝日新聞Web版)。

 言葉だけで判断すれば、私は麻生首相の言葉のほうがまともだと思います。鳩山さんのコメント―国会質問を聞いていると、これは民主党の党としての見解でもあるようですが―は、政権奪取の機会を目前にする大野党の意見としてはいささか見識に欠けるように思われます。日本外交の恥は、日本のお願いが米政府によって袖にされたことにあるのではありません。日本政府の責任で解決しなければならない課題について、自主的方策を持たず、米政府に依存し切っている状態こそが恥なのです。これは拉致問題に限らす、日本の外交全般に関していえることなのですが。
 一方、麻生首相のほうの問題は、言行が不一致であること、言うことなすことがその場しのぎで一貫性に欠けていることです。

 私は、米政府の「指定解除」が直ちに拉致問題解決を困難にするものとは考えません。拉致問題は小泉訪朝によって明らかになり、小泉、安倍、福田、麻生、4代の内閣が取り組んできた問題ですが、とにかく、事態を一番大きく動かしたのは小泉首相でした。彼によって問題の所在が明らかにされ、解決への第一歩が踏み出されたのです。この小泉氏の対北朝鮮外交は、自主的なものであり、米国政府の意向に沿ったものではありませんでした。
 続く安倍内閣の時代には問題はまったくの膠着状態で一番動きが乏しかったように思います。安倍氏が北朝鮮に対して一貫して強い、「原理主義的な」姿勢をとり続けたにもかかわらずです。あるいは、そのゆえにに言ったほうがいいのかもしれません。
 福田内閣末期になって、米朝接近の動きのなかで「再調査」が出て来ました。日本の政権交代で、これは立ち消え状態に陥っていますが、その原因の一つは麻生内閣が、安倍氏の「原理主義」的立場をとるのか、それとも小泉・福田氏の「現実主義」的立場を継ぐのかを、北朝鮮政府が見極めようとしていることにあるとも思われます。

 米国依存の外交を続けたのでは、米大統領選挙の結果に振り回されざるを得ません。また、「金融危機」によって米経済の地位低下が避けられないとすれば、米国の北東アジアに対する影響力も必然的に弱まります。米国の後について行けば何とかなる時代はもう終わったのです。

麻生太郎氏の変身

 ニューヨークタイムズに麻生首相についての社説が載ったそうです。産経新聞と読売新聞が、それぞれ次のように批判的に紹介しています。

 25日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、首相に就任した麻生太郎氏について、「好戦的な民族主義者」で「日本の植民地支配を称賛した」と決めつけるなど、不穏当な表現をちりばめた社説を掲載した。(26日付・産経Web版)
 25日付米紙ニューヨーク・タイムズは、麻生首相について、中韓両国との関係を悪化させた「けんか好きな国粋主義者」と断じる社説を掲載した。(26日付・読売Web版)

 それで、ニューヨークタイムズ社説の原文に当たってみますと、それは冷静な論調で、むしろ産経・読売両紙の記事のほうが一面的・感情的なのです。

 “The Return of Taro Aso”と題する社説は、外相時代の麻生氏について、その発言から“pugnacious nationalist”として近隣諸国によく知られ、非友好的な記憶を残していると書き起こしていますが、今回の首相就任にあたっては、自民党によって“pragmatist”にイメージチェンジして(ブランド変え・rebrand して)売り込まれているのだとしています。これが社説の要点で、民族主義から実用主義へのブランド変えという分析は的を射たもののように私には思えます。現に麻生首相の国連演説も「価値観外交」ではなく経済に焦点を当てたものでした。

 社説は概略、次のように論じて麻生氏の「新政策」に理解を示し、それにアドバイスをおくる形になっています。対するに、産経・読売の記事は旧麻生に執着して、麻生氏変身の意味を見逃しているように思えます。

 麻生氏に期待されているのは何よりもまず景気対策であり、それに成功するためには実用主義的立場に立って、最大の貿易相手国である中国や韓国、急成長を遂げつつある近隣諸国とのより強固な政治的経済的関係を築かねばならず、米国もまたそのような日本を必要としているのである。
 日本は小泉純一郎氏が始めた市場改革の完成による経済の現代化と、近隣諸国との対等な関係を保つ外交政策の現代化を達成しなければならない。麻生氏がこれらの課題に取り組むに当たって、十分に実用主義的姿勢をとり得るなら、彼は首相として成功を達成できるだろう。
 社説はそのように論じる一方で、麻生氏の「ナショナリズム」への里帰りを戒めているのです。

 ただ、世界経済の現状は、米国の金融危機を発端として、五里霧中の状態にあり、麻生内閣の景気対策も著しく具体性を欠いています。また、中山前国土交通相にみられるように、麻生氏のプラグマチストとしてのブランドを傷つけるナショナリズムの尻尾が彼にはまつわりついています。
 これらの弱点は残しているものの、麻生氏の変身を過小に評価し続けるなら、野党陣営は手痛い敗北を喫することになるかもしれません。

中山という大臣の不思議な頭脳

 国土交通大臣である中山成彬氏の放言三連発が問題になっています。彼が大の「日教組嫌い」だということは、「日本の教育のガンは日教組だ。日教組をぶっ壊すために火の玉になる」という発言からもわかりますが、その固定観念が強い色眼鏡になって、現実認識を妨げているようです。
 まず、成田空港反対運動を「ごね得」と言いましたが、これを農民の権利闘争とみるかごね得とみるかは別として、反対闘争の中心になった農民の多数は、戦前戦中に教育を受けた人たちだったように私は記憶しています。中山大臣はそのあたりのことを確認しているのかどうか。
 次に、「日教組が強いところは学力が低い」という中山仮説ですが、そもそも日本の小中学生の学力低下が問題にされるようになったのは、ここ数年来のことで、日教組がすっかり弱体化した後の話です。日教組が強かった時代には、日本の小学生の学力は国際的にもずば抜けていましたが、それも日教組の活動とは関係のない話です。
 さらに中山大臣は、「日教組は民主党の最大の支持母体だ」とまで言います。ここまで日教組を過大評価する人は、街宣車を走らせている街頭右翼くらいのものでしょう。

 中山大臣が意識しているか否かはしりませんが、この現実無視の「諸悪の根源は日教組」説の効用は、さまざまな問題の原因を隠蔽してしまうことにあります。例えば学力低下と格差拡大の関連についてです。結果として政府自民党や財界の責任は、きれいさっぱり免罪されてしまいます。
 日教組をぶっ壊しさえすれば、「美しい国日本」がよみがえるというわけです。

 時と場所と立場を考えず、ここまであからさまに言ってしまったのでは、さすがに大臣の地位を保てないようですが、それでも中山成彬氏は自民党の大物代議士として大手を振って活躍を続けるでしょう。彼は孤立してはいません。それどころか、麻生太郎・安倍晋三両氏をはじめAA内閣の主要閣僚は中山氏と同じ考えに立つ仲間です。

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